【僕誰、こかん太郎】4番手の味改革
くそったれみたいな世界を飛び出し、自由気ままありのままに生きてやる。
他人に自分の人生を決められたくない、私は私の意志で私の好きなように生きたい。
それはとっても難しいことかもしれないし、もしかしたらとても簡単な事なのかもしれない。
気付かないうちに、自分の意思決定は他人の影響を多く受けているのかもしれない
今の自分の気持ちに素直になってみて
満足してる?
幸せ感じてる?
嘘ついてない?
少しでも胸に焦りにも似たざわめきを感じたのなら、今こそ行動を起こすときよ。
変わりたい変わりたい、こんな人生嫌だって言っている今の状況に慣れてしまって、変わる事がめんどくさくなって、怖くなって、逃げてるじゃない?
変わりたい、変えたいって去年も言ってなかった?
そんな弱い意志の持ち主じゃ来年もそのままよ。
《でも》
《だって》
《どうせ》
《私なんか》
聞き飽きた。
自分から悲観するんなら、はなから変わりたいなんて願うな
何だかんだ今の自分の環境に落ち着いているだけなのよ。
私は違うわ。
こんな決められたかのような設定ぶち壊して、自分で【らしいストーリー】を描いて生きてやる。
そのためには、
まずとんでもないアクションが必要よ。
自己紹介が遅れたわ。
私は佐々木(あだ名は小次郎。ひねりのない面白くないありきたりなあだ名よ。たくっ)の孫の、宮本ちかよ。
気づいたら私は【孫】という役でこの物語で登場していたし、それが正しいと思って、【孫】を演じていたわ。でも、気づいたの。別に【孫】を演じる必要はないんじゃないのかって。
【僕誰、こかん太郎】では私は脇役よ。でも私が主役の物語であってもよかったじゃない?私の人生よ。生まれ始めてから、脇役を演じることが決定しているこんな物語は嫌よ。もしかしたら重要な役割があったのかもしれない。でもそんなの待てないわ。私は今を生きているの。今を変えたいの。未来に重要な役割があるからって、それまで黙って従っていろっていうの?バカにしないで?そもそもほんとにそれは信用してもいいのかしら。簡単に利用されないわ。世の中には平気で嘘をつき、平気で人を傷つける人もいるわ。他人に依存しての生き方だと、もし騙されたとき、傷つけられとき、立ち直れなくなるわ。私は強くなりたい。今こそ立ち上がる時よ。
ちかは自分の思いを、まとまらない思いを、拙いままで思いっきりはいていた。綺麗である必要はないと、それよりも自分の気持ちに素直である方が重要だと気づいたのである。
私には私の物語を生きるための作戦がある。
これは革新的で、飛びっきりの作戦よ。勢いが大事よ。思いついたら吉日。即行動よ。
まず状況を整理するわ。
この物語では主役級の人物が3人いるわ。
私のおじいちゃんの小次郎、その友達の工場長、そして漱石。おじいちゃんの苗字が佐々木意外に、この3人についての個人情報はまだあかされていないわ。
私の年齢すらもまだ明らかになっていない。
謎が多い分、制約も少ない。要はやりたい放題よ。
それに、細かい設定もそうだけと、大まかな設定も決まってない。見切り発車で始めた物語なのよ。終わり方も決まってない。そもそも終わらせる気もない。長らく更新がなかったのもそのせいよ。見切り発車で飽き性でめんどくさがり屋が顕著に現れているわね。でもそのおかげで私にチャンスがまわってきた。今この話の主導権を握っているのは私よ。絶好のチャンスなの。
流れ的には私はまだ小さな女の子だったけど、
ここで私は宣言する。私は20歳よ。勝手に時を進めるわ。
去年のこの話が始まったのが、
2057の設定だったわ。
それが年が変わり、今年の【僕誰、こかん太郎3番手の記事】では2058年になるわ。
その当時の私はいくつかわからないけど、仮にゼロ歳だったとして、今回で20歳にした。
ということは、2078年よりも先に進んでいる事にはならない。2057年の時点で私が5歳だっとしたら、2058で6歳。今が20歳だから、+14でこの記事の年代は2072年になる。
ただ5歳だったかどうかは謎よ。
自分のルーツを知るためには自分の年齢をまず知ることが大事ね。それをまず探っていきましょう。もともと決まっている設定にはさすがに逆らえないわ。記事になっていないだけで、設定はあったのかもしれない。それを知るために、また私は2058に戻り、年齢を探る。そして、また私に主導権がまわってきたチャンスで、正確な年代で物語を進めるわ。ここでは私、宮本ちかが主役よ。誰にも私を、人生のスパイス、ひとりの登場人物、エキストラとして使わせないわ。
そろそろ気付かれる頃ね。
でもこれを記事に出来たことは大きな一歩よ。たった数cmしか先に進んでないかもしれないけど、私の意志で決めた記念すべき数cmよ。このままコントロールを奪われる前にここは一旦身を引くべきね。
ガタン
物が落ちた音が部屋に響いた。音の感じからすると、何か大きな物が落ちたみたいだ。その音が合図になり、ここに空間が生まれ、設定が生まれた。
小次郎はゆっくりと目を開けた。まるでこれまでの記憶がなくなって、ここがどこだかわからない怯えを含んでいるかのように、おどおどと。
「おじいちゃん?」
「ん?ちかか?」
気づいたら孫の事をちかと呼んでいた。
小次郎は『ちか』と目の前にいる自分の孫に声をかけた事に違和感を感じた。ドアから顔を覗かせて好奇心に溢れた目でこちらを見ているかわいいかわいい小さな女の子は私の孫の宮本ちかに間違いないが、なぜか違和感?新鮮味?を感じのだ。
「どうしたの?おじいちゃん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
疑いのあるアルツハイマーが疑いではなくっているのかもしれない。これは早い事、思い出せるうちに自分の過去を整理すべきだ。
「おじいちゃん、ママが呼んでるよ」
「そうか、そうか、じゃあ今いくとしようか」
「その前にまたおじいちゃんの昔話聞きたいな〜」
「ん?何を聞きたいんだい?」
「おじいちゃんは今、66歳でしょ?」
「そうじゃ、今年でおじいちゃんも67歳じゃ。まだまだ現役だけどな!」
「現役ってなぁに?」
「いやまあ、まだまだ元気ってことだよ」
「67歳になると元気じゃなくなる人が多いの?」
「そんな事はないよ。特に今の世の中じゃ67歳はまだ若い部類に入って来るかもしれんの」
「じゃあ私も67歳の時に現役になるね」
「はっはっは。それはおじいちゃんにとってはとっても嬉しいことじゃ。それが見れんのが悲しいけどな」
「なんで、見れないの?」
「まあちかが67歳になるのはあと64年後だろ?そんときはおじいちゃんは131歳だからの。さすがに現役ではないだろうな」
「わたしが67歳になるには、あと64年必要なんだ!!」
「まあこれだけは言える。3歳のちかも64年後の67歳のちかもおじちゃんにとっては可愛くて可愛くて仕方ないじゃろう」
「67歳になるおじいちゃんも可愛いよ。」
「はっはっは。そうかそうか。それは嬉しいな。ちかに言われると尚更な」
各々の登場人物が意志を持ち始めることで、物語がコントロールできなくなり、矛盾が生じる。そして、その矛盾を整えるためにまた物語は予想もできない方向に進んで行く。ハッピーエンドもバッドエンドも行動次第で変わって来る。未知な変化を楽しめる人だけが自信を持った生き方ができるのかもしれない。しかし、そこには必ずリスクは存在する。そのリスクすらも楽しめる心の強い人はいったいどれほどいるのだろうか