平々凡々な理想描きの夢想家
「いつになったらちゃんと働くの?」
「アンタこれからどうするの?」
「ん〜いいと思うけど、あの人定職に就いてないし。無しかな〜」
「そろそろ現実と向きあった方がいいんじゃない?」
「仕事は仕事、嫌でもやるの。みんな我慢して働いているんだから」
まあまあ、
こんな事は言われますわな。ニートあるあるなんじゃないでしょうか。
その意見も悪いとは思わない。むしろ、正論だ。ちゃんと働いている人から言われるし、素直に「すみません」とも思います。
なんだかんだ言いながらも働き続けられる人はほんとにすごいと思うし、逃げるように辞めた自分にとって、仕事を続けるというのは本当に尊敬だ。
でも
世の中には面白い事にそれとまったく逆の意見を言う人たちもいます。
「これからは定職に就いても安全とは限らない」
「1つの仕事よりも、何本か収入源を増やしたいた方がいい」
「年収がいい人がいいとか言う女はこっちから断れや!」
「仕事は楽しんまんと。なんで自分が嫌な事に自分の時間を何十年も費やさんといかんのや」
「まだ26だろ?若い若い。もっといろんなことに挑戦さていきなさい。30まではなんとかなる」
どっちかというとこっち側の意見の方が、自分にとっては救いの言葉のように思えるけど、でもこの意見も正しいとは思えない。こっち寄りの考え方なのは、間違いないけど。
『世の中お金じゃない』
と言えるのは貧乏とお金持ち、どっちも経験したことのある人だけだ。
貧乏な人が
『世の中お金じゃない』といってもただの負け犬の遠吠えだ。
お金持ちの人が
『世の中お金じゃない』といっても、本当にお金がなくて、いろんな支払いを滞納している時に、ご飯に誘ってくれて
「俺がお前と話したいから、今回は誘った。だから、お金なんかいらん、そのかわりビックになったら倍返しで奢ってもらうからな」
と言われた時の感動は味わったことなかったならば、本当に苦しい時を体験していないのではあれば、それはただのぼやきである。
お金で買える物、解決できる事がたくさんあって、お金があれば救われる人がいるのも事実だ。
『現実にいつになったら向き合うの?』
自分自身では誰よりも向き合っている気がしている。別に働きたくないわけじゃない。嫌な事に時間を費やし、嫌な人でも愛想笑いを繰り返し、賛同できない意見でも上司の指示だからと、「はい!!」と従い、仕事だからと自分に言い聞かせて、自分の素直な心の意見を無視して生き続けるのができなくなっただけだ。そんな働き方がバカバカしくなっただけ。時間がもったいないなと思っただけ。
今だってつらい。そりゃつらいことなんてしょっちゅうある。血便にもなる。
ただ遊んでいるように見えるのが気に食わないのであれば、声を大にしていいたい。俺だってつらい。
ただ『不幸自慢大会』をしてどうなる?
そんなの自分の気にくわない環境を、人生そんなもんだからって必死に言い聞かせて勝手に諦めて、小さな自尊心をたもってるだけじゃないか。
自分の可能性に自分で蓋をして、挑戦もせずに勝手に苦しんでいるだけじゃないか。
「俺だって色々あるんだよ。お前とは違う」
でた。だからなんだ。じゃあ文句いうな。自分でその人生を選んだんなら、その人生を全しろ。色々あるのは自分だけだと思うなよ。
言い訳ばっかだ。
よっぽどそっちのほうが現実から逃げてないか?
あなたの人生はあなたの人生。勝手に人生諦めてつらい時間を過ごすことに対しては何も言わない。むしろ、こんな辛いことやれるなんてすごいですねって思ってもない事を言って、あなたの不幸自慢話に付き合ってあげますよ?
でもね。
挑戦している人に向かって、いろいろとわかったような事をあーだそーだ言って、自分と同じ環境に引きずり込もうとするのはやめてください。
そして、
挑戦しようてしている人も他人に何か言われて自信をなくすぐらいの覚悟なら、どうせうまくいかん。やめとけ。
そう思ってた時期もありました。
正社員をやっていた時は
むしろ今の自分の生き方をいいなと思っただろう。
今は
ちゃんと働いている人を尊敬する
今は正社員歴とニート歴が同じぐらい、むしろ、ニート歴の方が長くなってしまいましたが、そこで気づいた事は、根本的に自分の心の中にあるモヤモヤしたものは晴れてない。
【どっちにしても同じようなことで悩んでる】
ということ。
そうなると、働き方なんか関係ないのかもしれない。心の問題かもしれない。
そう思って
【断食道場】、【瞑想という名の修行】など、辛い環境に自らの決意で飛び込んでみたが、晴れない。
そこで気づいたのは
自分はほんとにギリギリまで追い詰められると性欲が爆発するということだ。
本能的なものなのか?
子孫を残そうとする本能的なものなのか?
そういう煩悩をなくし、コントロールすることが目的ではなかったのか?
あまりの辛さに挫折しようになり、性欲という強烈なパワーを借りて、「しゅごしゅご〜」言いながら、修行を乗り越えた。
これでは愛される人を守りきる力がほしくて、駄目だとわかりながらも暗黒面の力を得たダースベーダーと同じではないか。
ということでは
『性欲』という『発情モンモンハンター』の力を使うことで『シュゴシュゴ』が止まらなくなり、暴走していつかは私も逝ってしまうのではないか。いや、人間はいつかは逝く。無限の彼方に逝く。ただ逝く時は逝き方を大事にしたい。かっこいい逝き方をしたい。『性欲』でかっこいい逝き方ができるのか。
このままじゃないけない。
『性欲』の力を借りずに、本来の自分のポテンシャルでチャレンジしなければいずれこの身を滅ぼすことになるだろう。
じゃあどうすればいい?
ワクワクを探そう。
心の奥に閉じ込めた情熱を呼びおこそう。
自分がワクワクすることってなんだ。
考えろ考えろ。
考えろ考えろ。
考えろ考えろ。
だめだ。わからん。
そりゃそうだ。
『ワクワク』=『感動』
『感動』を得るには文字通り、
感じて動かなければいけない。
考えるな。感じろ。そして、感じたら迷わず動け。
感じろ感じろ。
感じろ感じろ。
感じろ感じろ。
俺は今何がしたい。
「はっ」
あった
俺の全てを満たしてくれるもの。
ワクワクさせてくれるもの。
挑戦させてくれる場所。
【相席屋】
それは僕にとってはユートピアだった。
次週、ユートピアに潜む罠
お楽しみに