うんこ漏れそう。I am うんこマン
これは完全に自慢だか、私はうんこマンだ。
人よりも多くうんこをしている自信の塊すらもうんことして排出しているぐらいだ。
とにかく胃が弱い。
ちびまる子ちゃんでいうと、山根つよしだ。
彼を想像してもらえればいい。もう。彼だ。俺はつよしだ。胃はいと弱し、名はつよしだ。
プレッシャーが全て胃にくる。
たとえば、
夜行バスだ。トイレが付いてない。
はい、このシュチュエーションを想像するだけでもう胃が痛い。むしろうんこしたい。
断食をしている時も、うんこがでた。
流石にこれには驚いた。
いったい、何がうんことなっているんだと。
うんこ、うんこと連呼して申し訳ないとは思わないことに申し訳なさを感じる26歳だか、これは自慢話だ。
他の人とはくぐってきた修羅場の数が違う。
何度ももうだめだと思った。自分の環境も、不甲斐なさも恨んだ。なんでいつもこうなる前に対処できんだと悔やんだ。額から垂れる脂汗と、なりふり構ってられなくなる極限の境地を何度も経験した。何度もだ。
ただのうんこマンだと思ってほしくない。
だからこそ、同じような同士を見ると守ってあげたくなる。手を差し伸べたくなる。トイレを緊急事態うんこマンファーストしたくなる。
世界平和を望むよりも(それも大事かもだけど)、となりのうんこマンを助けたい。
身近な人をまずは大切にしたい。
その連鎖は続くはずだ。そう信じる。
緊急事態うんこマンの時、トイレに行くと個室が満席。この時が一番つらい。解放されることを信じて、ギリギリで駆け寄った場所がすでに他のうんこマンに使用されている。もちろんうんこマンは仲間だ。早いもの勝ちだ。でもだからこそ、うんこマンたちよ。トイレではうんこが終わったら速やかに次のうんこマンのために、受け渡してほしい。
かつて、レベル高めのうんこマンがいた。
個室がいっぱいで待っていると、一人のうんこマンが出てきて、俺はそこに飛び込んで、ことなきを得たのだが、そこにトラップがあった。なんとあるべきものがないのだ。そう。ペーパーが、トイレのペーパーさんが芯だけ残して、いなくなっていたのだ。
......まじか。
どうしよう。家ならまだしも、ここは公共のトイレだ。どうしたものか。
すると、スッとドアの下にトイレのペーパーさんが現れた。私は何も言ってない。思うに、先に入っていた人が置いてくれたのだろう。それだけでも仲間意識が湧いたのだか、もっと関心したのはそのタイミングだ。ちょーうどうんこたちが流れるプールに飛び込んで、一番リラックスしている時間帯に置いてくれたのだ。
その気遣い。いいか悪いかは別として、尊敬に値する。
女に優しくする男はいっぱいいる。
でも、うんこマンにもそんな優しくする男なんているのか。
そして、今日。
駅のトイレで、うんこマンが現れた。
歩き方、目線、焦り具合。パニック感、全てを観察した結果、彼はまさしく緊急事態うんこマンだった。そして、あるあるだが、駅のトイレは和式が多く、掃除が行き届いてない。洋式がベストだ。緊急事態モードだと、和式だと勢いあまってはじけてしまうことがある。洋式を選ぶ彼のチョイスは正しい。そして、洋式は青色だった。ロックされてない。彼は安堵しただろう。解放される瞬間だ。私もホッと胸をなでおろした。しかし、彼が洋式の扉を開けた瞬間、ビクッと体が震え、そのあとで「す、すみません」と呟いた。
そう、これはまさかの安堵からの急降下誰も幸せにしないサプライズである。
先着うんこマンがノーロックでいたのだ。
もちろん。私もその経験はある。
絶望だ。
咄嗟に謝ってしまうが、こっちは謝ることなど何もない。確実に鍵をかけてない人が悪い。こっちはうんこがしたい。洋式のロックがかかってない。扉をあける。なんらおかしなことをしてない。
彼は、そわそわしていた。
それはそうだろう。もう助かったと、一旦安心したことにより、けつの緊張感はとけ、飛び出せうんこマン!!!状態になるのだから。そこから、あ、待って、出番もうちょっとあとって言うのは、きつい。
彼はそのあと、小の方についた。
これもあるあるだ。
いい方法だ。
小しながら、軽くすかしっぺをかますことで、うんこマンの怒りがおさまる時がある。でも、これはあくまで応急処置で、ゲリーラゲリリンの時は、すかしっぺ作戦を決行することで、ゲリーラゲリリンがゲロリンガするときとがある。ゲリピーちゃんがパリピーになってはじけまくるのである。
焦って応急処置をしている彼を横目で見た。
心から思った。
私は、隣人のうんこマンたちを助けたい。
まずは身近にいるたちから、笑顔にしたい。楽しいひと時を提供したい。
みんな、用が足せたら、速やかにトイレから退出してあげてね。
次のうんこマンは君かもよ?
失礼ぶっこきました。