自分という人間の存在について
僕はちっちゃな島で生まれ育ち、一時は新潟に移り住んだものの、都会に憧れて東京に行きました。
そして、世界に憧れて地球を一周しました。
全て親に内緒で実行して来ました。
それからは島に戻り、当然のごとく親から怒られ(さすがに悪かったなとは思いました笑)、そしてこう言われました。
「あんたが東京行ってたことも、海外行ってたことも周りには言ってないの!だっておじいちゃんやおばあちゃんが知ったら心配するでしょ?お姉ちゃんや妹にも言ってない!
だから、あんたも周りの人に言うな!」と。
それからというもの、親戚一同が集まった時や家族で話す時は東京の話
地球一周の話は全くしません。
事実は全て抹消されたことになっています。
これも
これも
この人もぜーんぶ無かったことに!
だから僕の話すことが許されている
キャリアは【新潟で菓子製造業と
ユニットバス施工を経験した後に、
島に帰ってきた】ということだけ。
僕の今までの人生のビッグイベントだった時間は、何の変哲もない平凡な日常だったということに上書き保存されているんです。
だからこそ、話してても続かない。
中身がない。楽しくない。
何の為に僕は戻ってきたんだろう。
経験を生かさないでここで何をしているんだろう。
長男だからとか、もはやそんなことも関係ない気がする。
そんな事をすごく考えます。
だから僕は決めました!
またこの島を出よう!と。
よっしゃ!まだまだこれからじゃ!
っていうエネルギーの満ち溢れている今のうちに、身体が動く今のうちにもっと経験してこようと思います。
そして、ありのままをさらけ出す。
我慢せず、押し殺さず自分を出し切る。
それが僕という人間の存在を証明することになるのかなと思います。
「自分を大事に」と言いながら
全然大事に出来ていませんでした。
失礼致しました。笑
失礼致します。